平安東福寺ッ 水野喜三郎さんッ!!

皆様今晩はッ!!

 

 

っで因みに昭和の陶芸界の名工さん色々いらっしゃれどもッ

ある意味マニヤック過ぎててッ

正直その陶芸人生まっこと厳しき貧しき日々をば送られててッ

そんでもって世に出された作品およそ数万点ッ

とも言われし強烈爆裂陶芸家さんともなりますとッ

 

やッぱしぽッかし平安東福寺ッ水野喜三郎さんしかッ

いらっしゃらないでございましょぉ~~なぁ~~~~ッ!!!

 

 

 

 

しかもかもしかその平安東福寺ッ水野喜三郎さんが手掛けられたッ

数万点とも言われるそのひとつひとつがッ

マニヤの中ではドカンと一発たまんないッ

てな代物さんと来りゃぁ~~ねぇ~~~ッ!

 

こいつぁ~もぉ~そりゃもんのすんごいお話さんでぇ~ごだりましょッ!!!

 

 

 

 

 

 

っでさてしてその平安東福寺ッ水野喜三郎さんでございますがッ

その手掛けられた陶器と申しますのはッ

正にそれこそ盆栽に欠かせないッ

あの盆栽鉢ばっかしッ!!

 

つまりはそのッ

平安東福寺ッ水野喜三郎さんたぁ~ッ

盆栽鉢オンリィ~のまッこと拘りさんの陶芸家さんだったんでぇ~ございますッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ってがははぁ~~~~ッ!!!?

 

 

 

 

 

 

こッこッこちらが正にそれこそ平安東福寺ッ水野喜三郎さんの盆栽鉢ぃ~~ッ!!!???

 

 

 

 

 

いやいやなんともッ

このちッちゃいながらも何ともいえぬ趣ッ奥行きッアントニオ猪木ッ!?

 

 

 

 

 

とにもかくにも見てよ見て見てこの盆栽鉢ッつあんのこの御姿のパピッと感ッ!

 

 

 

 

 

何気に渋き肌合いもじゃなくてッさることながらッ

盆栽鉢ッつあん内側の肌の仕上げの拘り様までッ

 

 

 

 

 

 

実に見事な盆栽鉢ッつあんでぇ~ごだりましょッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

っでさてして今宵のその平安東福寺ッ水野喜三郎さんはッ

明治二十三年四月にお生まれさんになりッ

当初若き頃は京都の櫛職人さんの養子となられてッ

櫛職人さんとして頑張っておられたのでございますがッ

 

次第に世も移り変わりッ

四十歳くらいの時ッ櫛職人としての職を奪われッ

どぉ~しよぉ~かとゆぅ~ときにッ

趣味で手掛けておられた盆栽鉢ッつあんを正式な生業とされたのがッ

云わば平安東福寺ッ水野喜三郎さん高田美和さんじゃなくてッ誕生秘話でございますッ!!

 

 

 

 

 

 

してして驚きの事実といたしましてッ

その平安東福寺ッ水野喜三郎さんはッ

自身の窯を持たずッ

なんとまその全てが借り窯にての制作さんだったんでぇ~ございますッ!!

 

 

 

 

いやいや実におッたまげぇ~の事実でございまっけどッ

先にも申し上げました通りッ

その平安東福寺ッ水野喜三郎さんが手掛けた盆栽鉢ッつあんのお仕事の良さはもぉ~パピパピッ!

 

なもんでその見事なお仕事ぶり故にッ

それぞれの窯主さんもッ

納得さんの上でのことだったのかも知んないでございますやねッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

但しッ

これまた先にも申し上げました通りッ

その平安東福寺ッ水野喜三郎さんの盆栽鉢ッつあん職人といたしましての生活さんはッ

まッこと厳しかったとのことでございましてッ

晩年頃の僅か十年ほどだけッ

ちょぴッとのゆとりがあったとのことでございましたッ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

天は二物を与えずなのかッ

その厳しき環境だからこその平安東福寺ッ水野喜三郎さんの手掛けられた盆栽鉢ッつあんはッ

ドカンと一発パピパピさんだったのかも知んないでございますやねッ・・・

 

 

 

 

んんん~~~~ッ

なんとも切ななメルヘンでんなぁ~~~ッ・・・・・